この度、岡山県新見市にある日尾山上神代八幡神社に聳え立ち、
町の指定重要文化財でもあった樹齢500年の町内一の大木であった杉の木をご縁あって使わせて頂き、
1階カウンター席をリニューアル致しました。
大木の生命力や迫力のある持ち味を存分に活かした仕上がりになりました。
(写真では迫力が全く伝わりません涙...)
二代目も今年の4月から中学生となり、お弁当生活が始まった事で私も毎朝5時起きの弁当&朝食作り生活が始まり三か月が経ちました。
容量や制限時間が決められ、旬の地小魚・地野菜を主とした飽きのこない健康的な献立が求められる毎朝の時間の中、非言語である料理に愛情や祈り、様々な想いを込めて作ります。
弁当=苦痛、面倒くさい、時短、早期給食化などネガティブなイメージが多いですが中高生の多感な時期には周囲環境からの非言語的な愛情と健康的な食生活から育まれる康らかな心根が情緒的な人間形成に非常に大切であるからこそ、この二度と戻って来ない貴重な時間を噛み締めながら一日一日を過ごしています。
話は変わって、近日中にインバウンドに向けたハラールコースやプラントベースのヴィーガンコースをローンチする予定ですが、ただ単に野菜だけのコースでは無く、その中に込めるものは日本仏教の中で受け継がれてきた哲学と精神性を纏った精進料理です。
そこでは、料理を始めて今日まで強みとして絶対的な存在であった鯛の浜焼きや尾道の魚料理は全く使うことは出来ませんので一旦これまで背負ってきた経験を降ろし一から学ぶ中で先に述べた弁当作りが大変な学びや修行となっています。
根菜の葉や野菜の皮だからといって安易に捨てたり蔑むのでは無く、どんな素材にも同じく感謝の意を込めて全て使い切る。この精神性は現在まで私が大切にしている心構えでもありますので、今一度備後地域の海藻や野菜類、郷土料理を学んだ上で瀬戸内ならではの精進料理を通常のコースと比較しても遜色無いクオリティとして愉しんで頂けるよう毎朝の弁当作りの中で学ばせて戴いておりますが、今までの経験の中で最も難易度の高い作品である事は間違いありませんが、同時に自身の皮がふた皮くらいビリビリと剥けていくのも体感しています。
まだ終わりの見えないコロナ禍の三年間。人の心理や感情が様々に揺れ動く中、今まで以上にあらゆる問いを自らが投げかけられた日々でした。
『外食産業が示す未来はどういった姿か?』
『長期的・真の意味で、人の役に立つ・世の中を良くするレストランや食とはどういった姿か?』
『あなたの仕事は社会にとって必要か?』
『あなたは仕事を通して何をしたいのか?』
『あなたにとって仕事とは何か?』
フワフワした漠然とした問いでなく、このような本質的な問いの答えや自己を持っていないとコロナのようなことが起きるたびに売上も心身も右往左往する羽目になってしまうと痛感しました。
この問いに自分なりの考えを絞り出した『答え=仕事』を通して社会に貢献できるよう、これからも実直に取り組んで参ります。
2013年の開店当初、10年間は土の中に潜って自力を蓄え根を張る時間にし、40代から全国区でも勝負出来るようになろうと決め早10年。もはや10年では全く足りません(涙)
そして今年から中学生になる二代目(倅)も物心ついた頃から現在まで店を継ぐと言っていますので、このままいくと十数年でバトンを渡す事になります。
お店が二代、三代と続いていくようならその素地となる根を張る時間こそが私の代の役割なのだと最近では強く感じ、50年・100年風雪に耐えるべく家業の下支えとなる活動を今では行っています。
コロナ禍で様々な時代の賢者の書物を読み、書物を通じて彼らと友人となりました。そんな中でも私が最も励まされたのはやはり原点である仏教でした。
尾道は仏教の町でもあり、二代目の名前もブッダのスッタニパータの中の一節『犀(サイ)の角のようにただ独り歩め。』から名付けたこともあり、何か深い意味を感じています。
『心通わせ祈りを結ぶ食』
これが私たちの描く食の姿であり、その核となる料理 鯛の浜焼きを尾道で焼かれ始めて五百年にあたる二百年先までバトンを繋ぐ事
『 HAMAYAKI 2222 』
を目標に掲げ活動していきます。
今だけ金だけ自分だけ。
現代の価値基準では理解されるかわかりませんが
自分だけの命では到底成し得ない世界を目指せば現世で起こる様々な災いすらとても小さく感じてしまいます。
今年の1月に完成した製塩所『天空の塩パピタ』での製塩が順調で、一般販売も出来るくらいの製塩量の見通しが立ったので、7月よりの店内や店頭無人販売、当ウェブサイトからのオンライン注文も開始しました。
お客様にとって便利なECサイトでの販売も考えましたが、敢えて不便なこちら都合の自社サイトでの販売一本にこだわりました。一番の理由はいわゆる『カゴ落ち』と言われる購入手続きが面倒で購入までに至らない事が多いと考えたからです。販売量を増やしたいのであればカゴ落ちの少ない便利なECサイトを開設しますが、まさに手塩にかけて作り上げた大切な塩は本当に欲しいと思って頂ける方にしか販売したくないのです。
そういった理由で鯛の浜焼きの販売も自社サイト一択に昨年より変更しました。
鯛の浜焼きも飲食店営業を行いながらの製造となると一日に10尾前後しか焼き上げる事は出来ませんし、そもそも納得のいく質の高い天然鯛も週平均しても60尾前後と数に限りが御座います。
より少ない量をより手間暇掛けてより質の高い状態で継続的にお客様に提供していく事が、結果的に伝統を永く受け継ぐことになると確信しています。
これは飲食店営業にも言える事です。予約もなく今から二人いける?と気軽に行けるお店の方が断然便利です。ただ、そういったお店はごまんとあり『飲食店=便利で安くて美味い』を求める消費者を増やす事が結果として人間を堕落させてしまうと思うのです。
お客様にとっても大切な時間とお金を使ってご来店頂けると同時に、私たちの時間も同様です。
であれば、折角の外食は少し奮発してでも想い出に残る特別なお店に行きたいと思って頂ける方に全身全霊で尽くしたいと考え、現在の一日一組限定の営業形態をとっております。
お二人のご予約でも仕込みに9時間、営業3時間、片付け3時間の計15時間を費やします。
高いものにはそれ相応の理由があるのです(涙!!)
本年建設した完全天日製塩所『天空の塩パピタ』での製塩量が想像をはるかに超え順調に進んでおりますので5月より手土産・自宅用の鯛の浜焼きに使用する塩も全量『天空の塩パピタ』に切り替えました。
ガンディーが行った塩の行進から90年余り。
日本では海外の塩をはじめとしたあらゆるものが安価かつ大量に手に入るようになりました。
それに伴って全国のあらゆる郷土料理や個性は無くなり、土地のグルメといっても原材料は海外産・県外産が当たり前となり本当の意味で、その土地ならではの味は消え失せてしまいました。
瀬戸内屈指の観光地である尾道に至っても、尾道ラーメン・お好み焼き・様々な人気のスイーツ・パン屋さんで提供される尾道グルメも原材料のほとんどは尾道から遠く離れた土地のものです。それをわざわざ遠くから訪れる旅人が口にしていることにとても違和感を感じます。なぜなら食べているのはただの人気だから…有名だから…という『情報』だからです。
全てを地元産にすることは難しいでしょうが、少しでも近くで取れる素材を使うお店が増え、そんなお店が支持されるような社会になるよう、自らが活動していかなければ何も変わりません。SDGsや脱炭素など言葉だけがフワフワと浮遊して一向に新しい社会像が見えない中、聡明な社会活動と経済活動を両立させ次の世代が『私もやりたい!』と思えるような仕事を私たちの世代で作っていかなければなりません。
そのような想いを込めて『 尾道 塩の行進 』と銘打ち、活動して行きたいと思います。
《塩の行進》とは
塩の行進(しおのこうしん/Salt March )とは、1930年にマハトマ・ガンディー並びに彼の支持者がイギリス植民地政府による塩の専売に反対し、製塩の為にグジャラート州アフマダーバードから同州南部ダーンディー海岸までの約386kmを行進した抗議行動のことである。この行進は3月12日から4月6日まで続き、インドのイギリスからの独立運動における重要な転換点となった。
『備後茶量を継ぎたい。』
物心つきだした頃から現在(11歳)まで…今のところ倅が言ってくれています。
とても嬉しく思う反面、むずがゆくもあるのが正直なところであります。
私が関わる漁師さんやいわゆる職人の世界の友人は幼いころから父と同じ道を歩むと
小さなころから決めていたと皆口を揃えて言っていたのを思い出してみると彼の本心なのかも知れない。
昨年から本格的な戦力として学校が終わるとバスでお店までやって来てお店の仕込みから片付けまでを担ってくれていますので私たちの成長も楽しみながら酒のつまみにでもして頂けたら嬉しいです。
一般的な料理屋の息子が通る道は、調理師学校へ行って都会の有名店で腕を磨いて30歳を前に帰って来るのが正道。
僕としては一日でも早く(あと10年ちょっと)お店を譲って、本人の裁量で苦労や経験を重ねて自身のお店に育てていく事が
一番であると考えています。そう考えると僕がカウンター席で料理を作る事もあと10年しか無いのだと実感し、
命の儚さを日々感じつつ倅の成長も愛おしく思えます。
私自身は『鯛の浜焼き』という新たなステージを全力で取り組みながらお店のサポートをしていければと考えていますが、
日ごとに生まれ変わる自身の感情や、そもそも予想通りには人生は行かないものですから10年後。
いったいどんな世界で何を誰と行っているかも解らないのが本音であります。
48歳の私と21歳の二代目がこうしてカウンターに揃う10年後の未来があるならば。
私は10年後、20年後のお店の為の土壌作りと種まき、根を張ることに勤しむことにしましょう。
ならば今からの10年が私にとって、最も煮えたぎるような過酷で激しく、だけれど愛おしい日々となるでしょう。
↓オマケ動画 二代目 保育園卒園式 『僕はこの時から決意していた。』↓
( ↑天空の塩職人 パピタとパピスケ 髙田歳三画・文字デザイン 髙田愛羅 )
高知県の塩職人 田野屋塩二郎さんに塩をオーダーに伺ったのが2015年。
『瀬戸内海の海水で塩を作ったら絶対に美味しい。』
塩二郎さんにそう云われて以来、尾道の海水での塩作りを6年間行ってきました。
様々な製造方法を模索する中で、納得のいくクオリティと規模感も一昨年より明確となり
昨年からは店舗用以外にもギフト用の鯛の浜焼きにも自家製の塩を使用しております。
今後、より質の高い塩作りを持続可能な形で継続できるよう、2020年から図面と構想を描いていた塩工場
『 天空の塩パピタ 』の施工(大工は先輩の寄國慶行氏)がいよいよ2022年の幕開けと共に始まりました。
自宅屋上に木製の製塩ハウスを建設し、完全天日塩の塩作りに取り組みます。
製塩の際に使用する器も私が自ら掘ってきた地元の土を用いた製塩土器(約36cmの平鉢)を
向島東製陶所 惠谷幸史さんに作製(初版100枚)頂き、ハウス一面に土器を並べ
ゆっくりと時間を掛けて海水を蒸発させていきます。
使用する海水も満月の最もエネルギーに満ち溢れた時に汲み上げます。
さぁ、ここからが本題です。
『何故、塩を作るのか?』
地に根差した料理を探求する上で、食の根幹となる水と塩。
これらが地元のものである事はもはや当然のことだからです。
そして何より、私共で製造しております鯛の浜焼きの原材料は
『鯛』と『塩』のみから作られます。地元の漁師さんが地場の豊かな漁場で
獲った天然真鯛を朝締めの状態で常時仕入れ出来る尾道という町では
縄文時代より塩作りが行われておりました。
鯛・塩・人。
全て尾道産 祈りの町の郷土料理と呼ぶに相応しいものを作り続けていく強い使命感を持ち、今後も品質向上に努めて参ります。
コロナ禍で新たに始めた、大切な人の幸せを祈って贈られるギフト用の鯛の浜焼き。私が出来ることは美味しい鯛を焼き上げることは勿論ですが、最も大切なのは海水を汲み上げる所から祈りを込めて作る心構えだと思っています。
今の時代、最も大切で現代人が忘れかけているものは『祈り』です。
お客様ひとりひとりの人生の大切な場面でお選び頂けるよう、尾道より祈りを込めて焼き上げさせて頂きます。
世界中の質の高い塩が安価で入手出来る現在。
100万を超える設備投資を行って製塩ハウスや製塩土器を作成し、海水を屋上まで運び、天日塩を作るという行為は非常にクレイジー。
人生は一度かぎり。
だからこそ鯛の浜焼きという浪漫に満ちた崇高な料理を海水を汲み上げる所から祈りを込め、命懸けで作り上げるのです。
むかしむかし。 今は未来の昔。
我々の営みもいずれ過ぎ去り、未来を生きる人たちの遠い過去となります。
歴史というものは過去を振り返る事だけではなく、祖先たちが積み上げてきたものに厚みをつけて未来へ紡ぐ事です。
目には見えないものを畏れ・崇めた太古の昔。
海水を煮詰めて出来上がる不思議な白い結晶も、きっと神聖なものであったと思います。
科学や技術が進化した現在の私たちは、目に見えるものしか信じる事が出来なくなってしまいましたが、この天空の塩工場には塩職人パピタとパピスケが今日もせっせと塩づくりに励んでいるのです。
2021年11月1日よりJA尾道市の産直市『ええじゃん尾道 尾道店』にて鯛の浜焼きを常設販売 開始致します。
2008年にオープンした ええじゃん尾道とのお付き合いは古く、私が開業した2009年当初はお弁当を販売させて頂いておりました。現在では考えられない程の小さなプレハブ小屋で、鮮魚やお肉などはもちろん無く、野菜や花、惣菜が少しの本当に素朴な産直市でした。
現在でも当店で使用する野菜や果物、浜焼きに使用する朝〆天然鯛や鮮魚などもこのええじゃん尾道無くしては考えられません。
自宅から徒歩圏内にある私が最も愛してやまないお店で12年の歳月を経て 鯛の浜焼きを販売させて頂けるようになった事も、大いなる何かに導かれているようです。
『 近く 小さく 美しく 』
私が大切にしております概念を今年はより具現化・多角化させる事が出来た一年でした。
そしてこれからは鯛の浜焼きという食文化を地元の方に伝えていくという地味で長く、根気のいる活動期が始まりました。
何十年掛かるか分かりませんが、『尾道のめでたい』といえば『鯛の浜焼き』と思い浮かべて頂けるよう、愚直に継続していきたいと思います。
コーヒーが良い、亜麻仁油が良い、アボカドが良い、ルイボスティーが良い...
毎日飛び交う健康情報に振り回されて日本から遠く離れた食材ばかりであなたの身体が形成される事に先ずは違和感を抱いてください。
そして日本には日本の健康法がある事をどうか念頭に置いてください。
その中でも1.身土不二・2.一物全体・3.季節の食というキーワードが大切になってきます。
⑴ 身土不二のものを選ぶ。
あなたがお住まい又は生れ育った地域の食べ物があなたにとって最も健康を作り、
自然の摂理に沿った食べ物であるという事です。日本人に良いと一概に言われても南の沖縄に生れ育った人と
北の北海道で生れ育った人とでは全く食べて育ったものが違うようにもっと言えばその同じ土地で育った兄弟であっても
好き嫌いや一人一人にあった食べ物は異なります。
⑵ 一物全体を食べる。
大根ならば皮も葉も全て、魚なら頭から尾まで全て食べるという事です。その事からいえる事はなるべく小さな食材を
選ぶという事を覚えておいてください。大型の肉や魚はとても全てを食べきる事は出来ませんし、
生物濃縮で毒素も多く含んでいます。野菜も不自然に肥料や農薬を与えれば綺麗に大きくなりますので
なるべく外見の悪い小さな野菜を選びましょう。自然界の厳しい中でゆっくり育った小さな生命は味も栄養も濃厚です。
全てを食べなくても食べれない部位は美味しい出汁として味噌汁などでも使い切る事が大切です。
⑶ 季節の食べ物を食べる。
食の世界も工業化が進み、季節を問わず牛肉・豚肉・鶏肉などの家畜を食べるようになり、
様々な野菜も年中普及した現代人に最も大切なのは『旬』を知り、『旬』を食べる。という当たり前な事です。
肉を食べるのも秋から冬に掛けての野生の鹿や猪といったジビエ中心に。
魚も養殖魚などは食べずにスーパーに並ぶ季節の小魚を。大きな魚はNG。野菜もなるべく安い季節のものを。
本当の食材は安価でごくありふれたものなのです。
穀物をたらふく食べて育ったサシ入りの和牛の焼き肉や大型魚のお寿司などは年1.2回食べる程度までに。
食事を質の高い本物にし小食にする事がゴールですが、いきなり量を減らすことは難しいので先ずは本物に変える事から始めていきましょう。
朝食をとる方は本物のご飯と漬物と味噌汁に。パン派という方は全粒粉かつ麦と塩と水のシンプルな素材で
しっかりとグルテンを分解発酵された本物のパンを選ぶようにしてください。残念ながら砂糖に次いで精製された
小麦製品も身体に悪いのです。パンや甘い物大好きな方に残念ながら明るい老後はありません!
そしてお昼ご飯ですが、習慣でラーメンや近所の1000円以下のランチを食べるという方も絶対に今すぐ辞めてください。
現代は車や服などの外見を良く見せる事には大枚を叩いて大切に扱う男女が自身の中身の健康には
無頓着な事は正にパロディーとしか言えません( ・∇・)
残念ながらラーメンやジャンク外食大好きな方にも明るい老後はあるはずがありません!!
先ずはお弁当を作る所がスタートラインです。いきなり白米を辞めるのも難しいでしょうから自炊した冷めた白米を入れ、
なるべく揚げ物の無い手作りの魚と野菜中心のおかずを入れて。揚げ物も小麦製品に次いで非常に身体に悪いです。
本当にこの世は毒ばかりでウンザリします(涙)晩ご飯も当然自炊し飲酒が日常になっている方は味噌汁や炭酸水、
お茶などの飲み物に変えていきましょう。私も以前は日常的に飲酒しておりましたが味噌汁とほうじ茶に慣れると
驚くほど当たり前になりますし、なにより飲酒が引き金となって起こるダラダラと続く暴飲暴食が無くなる事が一番の健康効果です。
砂糖・お酒・外食や総菜・肉を週5日程度断つ事が出来たらもう健康意識は通常レベルまで来ましたよ!
次は食事の総量を減らし、より栄養価の高い食事へを切り替えていきましょう‼︎
2019年10月からの朝ドラ『スカーレット』 主役女性の半生のモデルとなったのは
私が大好きでコレクションしている、信楽焼 陶芸家 神山清子さんです。
カウンター席にご来店頂いたお客様には器には料理を盛って、酒器にはお酒を入れて、花入れには花を生けてと、
神山清子さんの世界観を実際に手に触れながらお愉しみ戴く事が出来ます。
神山さんの作品と一緒に入っていた栞の文には我々の想像を遥かに越えた苦労と努力の姿が綴られています。
陶芸界同様、料理界においても上辺のテクニックや最新調理機器を用いた『形』重視の料理がもてはやされていますが、
果たして100年後にも語り継がれるような料理人は今の時代にいるのでしょうか?
このドラマを機に日本人が、本物の芸術について考えるきっかけになればと切に願います。
カウンター席の料金をお一人様 15,000円(お飲み物代金、サービス料、消費税別)
と改定し、内容や時間のボリュームを省いたよりシンプルな料理構成と致しました。※以前はドリンクペアリングセットで¥30,000円でした。
カウンター席を新たに設けてリニューアルオープンした2015年から現在まで。
常に高いレベルの彼方を探求して参りましたが、
周りも視ずにあまりにも鋭く高い山まで登り詰めていた為、一旦劔のような山を降り
皆様から愛される地方の穏やかな里山を目指してまたゆっくりと登って行こうと思います。
もちろんこれからも高いレベルを目指してやって行きますが、今までのように莫大なエネルギーと
費用を使って食材や調味料など全て最高級のものを揃えることは辞め、今後は地元で採れる中で
無理なく持続可能な美味しさを追求していきたいと思います。
その分コースの価格も下がり、時間も短くなりましたが満足度は以前にも増したものに仕上がると感じています。
以前はカウンター席の予約が入れば一週間前から気を張り詰め、コース内容が大方決まれば料理一品づつに合わせた器、御膳、箸、箸置きを決めたら次はペアリングのお酒とお茶、温度や酒器や茶器と…前日当日はとにかくあらゆる業務に追われ、翌日は何も手につかない程疲れ果ててしまっていましたが、現在では楽をするという意味合いではなく、7.8割の力でこちらも余裕がある状態でも充分にお客様に満足して頂けるレベルまでやってきました。
今回の価格改定を行うきっかけは、映画の上映時間や高級料理店のコース時間が
どんどん長くなっていて、しんどいという意見を多く聞くようになったことです。
どんなに素晴らしい映画や料理でも、お客様にとってはひとつの娯楽に過ぎず、
こちらの想いを全て受け止めろと言わんばかりに長時間押し付けているだけではいけませんので、
現在はお客様がしっかりと集中して愉しんで頂ける時間内に季節感やこちらの想いを
乗せれるようなコース内容に出来るよう、編集真っ最中であります。
GREEN BOOK
照井利幸さんのブログで紹介されていて
ずっと観たかった映画を先日シネマ尾道で観て来ました。
2時間強でしたが、始めから終わりまで
あっという間。余韻も清清しく素晴らしかったです。
この映画のような受け手に何かを考えさせる
深いメッセージのある料理が作れるように。
2018年11月 お陰をもちまして福山市三之丸町で会社を創業してから十年を迎えることが出来ました。
このお店も開店から5年半が過ぎ、すこし落ち着きかけた矢先。今夏の西日本豪雨災害が起こりました。
一週間以上の断水や、予約のキャンセル続出、それに伴う影響での売上げ低下など。
この一年は本当に様々な事を根底から考えさせられる一年でした。
その中でもお店が上を向いて成長出来たのは、ランニングコストや無駄な経費を極限まで省き、
十年の歳月を懸けて作り上げたこのお店の業態だからこそだと思います。
これからもぶれることなく、一日一組のお客様に真心込めた料理やサービスをただひたすら愚直に行い続け、
地元の皆様に誇りに想って頂ける店作りを念頭に置いて精進致しますので今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。
以下、今年に行いました店舗改装部分です。
カウンター内の壁を『瀬戸漆喰』といわれる岡山の石灰や広島の牡蠣殻、竹チップで作られた
自然に優しい漆喰を私が自ら掌で塗り上げました。
入り口の扉をカウンター材同様の樹齢500年越えの御神木で仕上げました。
周りの漆喰はカウンター内同様、瀬戸漆喰をまた私が掌で塗り上げました。
カウンター席の椅子を岐阜高山の熟練職人さんが釘を一切使用せず作り上げたものに。
デザイナー岩倉榮利氏の『真に日本が生み出したオリジナルデザイン』のコンセプトになによりも共鳴しました。
二階席テーブルを奈良吉野杉の樹齢約120年の一枚板テーブルに総入替えしました。
材木屋や資材屋から原料を仕入れて、木材加工から施工まで全て私が手作りで仕上げました。
椅子も座り心地を重視した無垢材のものに総入替えしました。
畳も備後畳表に総張替えしました。
私が最も尊敬している人物であり、陶芸家の金重陶陽さん。
同年の唐津の中里無庵さんや、一回り年上の大藝術家 北大路魯山人氏。
その他、錚々たる陶芸家が本流の桃山陶を超えようと、切磋琢磨して日本の芸術を盛り上げた昭和の時代。
その中でも陶陽さんの作品には品格、土味、凄味、美しさ。
そのどれを取っても、日本の陶芸史上最高峰であると私は感じています。
五十代中頃から晩年までの陶印を『ト』とし、
田井山の田圃の下にある観音土と呼ばれるねっとりとした土味豊かな土を用いた作品の評価が高いですが、個人的には陶印『土’』とした三十代中頃から五十代中頃までの室町期に迫る山土を多用した野趣溢れる作品が好きです。
当時は極貧かつ内向に沈潜しながら生み出された作品ばかりですから、自ずと備前焼のアイデンティティーがこの時代の作品にはあるように感じます。
今の自分と世代も重なりますから余計にこの時代の作品から沢山の力を貰っています。
そんな陶陽さんの作品に実際に手で触れて頂いて
その素晴らしさを知って頂きたいので、これからも
手に届く範囲の作品収集は続けていきたいと思います。
備前 緋襷 酒壷 土’印
備前長皿 六客揃 長ト印
窯変徳利 土´印
緋襷向付 ト印 晩年作品
窯変深向付 短ト印 最晩年作品
毎晩、陶陽さんとの会話が何よりの愉しみ。
カウンター席のコース料理の野菜を、当店の予約当日のお客様の為だけにその日収穫して戴いた新鮮な無農薬野菜を三原市本郷まで仕入れる、【無農薬野菜の当日便】を9月から初めました。
この取組みはずっと絵空事で考えてはいたものの、中々実現まで漕ぎ着けるとなると時間が掛かりました。
農家さんには朝一から野菜をウチだけの為に採ってもらい、三原市本郷駅まで無梱包、荷台にドサッと持って来てもらい、私が本郷駅まで向かって全ての野菜を大切に包み、すぐ帰りの電車に乗るという中々スリリングな仕入れです(汗)
今まではある程度コースの内容が決まったらその内容に併せた野菜を仕入れていましたが、この取組みを始めたらそうはいきません。
7割方は内容がわかりますが、残りの3割は全くの未知な野菜が来るので、店に帰って営業までの約6時間で何と何を併せてどれをどう料理するかは経験や勘、閃きなど、今までは出来なかった料理も次々と生まれ、新鮮な驚きを感じています。
そして何より海と里の旬の出会いものが紛れもなく器の上で表現出来る幸せを感じています。
一年を通しての海産物はもちろん、夏場のじゅんさい、鮎に続き、鮮度や味、香りに妥協出来ない野菜の当日便が実現出来たのも、久井のスーパーファーム梶谷農園で働いた後に独立された、長森さん&ヤッサンの有機農園『Myrtle Rain Pickles』さん有っての事です。
愛情込めて育てられた生命力漲る季節の野菜を堪能して戴けたら幸いです。
北大路魯山人氏が日本の藝術全般に遺した多大なる影響。
織部 菊花彫文平向付 黒田陶苑識箱
備前土 割山椒向付
灰釉 一尺長方皿
三代で追い求める『中村の緋』
観音土を使用した本物の『備前焼』
陶陽さん、道明さんから中村家が
受け継いだ備前焼の心と技術。
全ての集約が和樹さんの作品となり
作品を通して備前焼の魅力を改めて
世界に発信することになるでしょう。
当店でもこの夏から使用する鮎皿を
オーダーして使用しておりますが、
和樹さんの作品は本当に純朴で
嘘が無く、料理に寄り添う優しい
器です。今後は毎年のように備前
伊部を訪れて器をオーダーさせて
頂く事になる生涯のお付き合いと
なれるよう、しっかりとお店を
存続させなければなりません(大汗)
この度、岡山県新見市にある日尾山上神代八幡神社に聳え立ち、
町の指定重要文化財でもあった樹齢500年の町内一の大木であった杉の木をご縁あって使わせて頂き、
1階カウンター席をリニューアル致しました。
大木の生命力や迫力のある持ち味を存分に活かした仕上がりになりました。
(写真では迫力が全く伝わりません涙...)
今回の大工工事一式は、地元 久保中学校の先輩で大工の寄國さんにお願いしました。
僕と同級生の妹さんに会社のロゴを8年前にデザインして頂いた事も何かの縁だと感じています。
近場の材料でいい木が入ったらカウンターをやり変えようと話をすること約一年...
想像を遥かに超える崇高な木を使わせて頂けるのも抜群のタイミングと巡り合わせによるものです。
無垢の吉野檜の一枚板の美しさや気品はありませんが、野性味溢れ野山を想わす
自然な風合いが当店にピッタリで物凄く気に入ってます。
2017年
今年はものづくりの方々に直接会いに行く機会を増やそうと年明けから精力的に活動しています。
新年一発目は備前焼 中村眞、中村和樹親子の工房のある伊部へ。
百をゆうに超える備前の作家さんの中で眼に留まったのが和樹さんの素朴な作品でした。
お昼前に伺って最初の小一時間で夏の鮎の塩焼きを盛り付ける器のオーダーを和樹さんにお願いし、
そこから日も暮れる七時前まで延々中村親子と僕の三人で盃を酌み交わせました笑。
なにをつくるにしてもその人が何を考え、どういった思いでものづくりをされているかという部分はかなり重要です。
そこが自分のものづくりに対しての考えと同じような気持ちの方で無いと、とても長いお付き合いは出来ません。
彼らに出会えて良かった!と心から思える位、ものづくりの人間とはこうあるべきだと
お二人からつくづく考えさせられる貴重な時間でした。
これから中村家とは毎年盃を酌み交わすことになりそうな予感がします、、、
一月末に伺ったのが、沼隈でウバメガシや梅の木を刳り貫いて
スプーンやフォークを一本一本手作りで作られている山脇さんの工房。
昨年末フルオーダーしている会席料理の〆の鯛茶漬けで使用するレンゲと、
初夏のじゅんさいをすくうスプーンをオーダーしてきました。
レンゲは三原の漆芸家 田代さんに合鹿椀や会席膳と合うような漆塗りに仕上げて頂きます。
原料となるウバメガシと梅の良質な材が一度に手に入るという理由で、毎年和歌山の山に入って
自ら選定し、三年以上乾燥させ、一本づつ手間隙かけて作られる一点物の作品も非常に求めやすい価格で
販売されています。現在は定年されて悠々自適の作品作りに励んでおられますが、それまではお勤めされながら
二束の草鞋でやってこられた分、世間の金銭感覚や一般の方の気持ちをより理解されておられるからこそ、
販売価格にも真面目で実直なものづくりの人間のあるべき姿があらわれています。
山脇さんもこれからどんどん作品をオーダーさせてもらう予定で、すごく素敵な出会いでした。
そして二月の上旬にいつもお世話になっている三原市本郷の有機農家さんの所へ伺い、
近所の居酒屋さんで普段話せない様々なお話をさせて頂きました。
このお二人が存在しないと当店では無くなる程のインパクトを持った、量最重要人物二人です。
その数日前に当店に食事に来て頂けたので実際に自分たちが育てた野菜がどういった形で
提供されているかも五感で味わって貰えたので、これからより一層、
農家さん料理人が同じイメージや気持ちで一皿を作り上げることが出来ると感じています。
飲食店とは映画にも似た総合芸術であり、登場人物である魚、野菜、肉、陶磁器、漆器、調度品全般の
力の積み重ねでしか、お客様が感動して戴ける時間を作ることは出来ないと信じています。
お客様にとって、三時間ほどの人生の中のほんの僅かな時間ではありますが、
その僅かな時間をより鮮やかな想い出に出来るよう、これからも冒険は続きます。
昨年末、三原市在住の漆芸作家 田代昭夫さんに一階カウンター席でお出しする〆の『鯛茶漬け』で使用する、
合鹿椀、会席膳、レンゲ、箸置きなどをフルオーダーさせて頂き、数年がかりで4セット作成して頂きます。
※写真はイメージです。
日本の伝統工芸の文化を次世代に継承する事は当店の使命として、今後も積極的に行っていかなければと考えております。
来週には備前焼の作家さんに直接お会いして器のオーダーも予定しております。
この春からは昨年から行っている完全天日塩の製造を本格化すべく、完全天日塩製造工場を建設し、
当店で使用する全ての塩を自家製造する予定です。 そこから波及して漬物、味噌、醤油なども数年がかりで計画しております。
『真味只是淡』
当店の屋号も書いて頂いた、大本山 西國寺 麻生裕雄副住職に一階カウンター席に飾る書をこの度書いて頂きました。
《菜根譚》の一節、
醲肥辛甘非真味 真味只是淡 神奇卓異非至人 至人只是常 より。
訳:濃い酒、脂っこい肉、辛いもの、甘いもの、このような濃い味はほんものの味ではない。ほんものの味はただ淡白なものである。
神のように奇異で才能あふれた人が至人ではない。至人というのはごく普通の人に見えるものである。至人=道をきわめた人
開店日にもお越し頂き、公私にわたり大変お世話になっている裕雄さんに文字もおまかせしました。
当店の目指すもの。私の目指す人間。そのどちらも含んだ素晴らしいエールを頂き、本年も頑張ります!
この度、多くの方々の力をお借りして外国からのお客様の受け入れを開始することが出来ました。
※現段階で英語、スペイン語に対応致します。
五年先、十年先に当たり前のように海外からお客様が訪れるようなお店にしたいと考えております。
海外は勿論、他県から訪れるお客様をもてなすには地元への深い見識と愛情が必要です。
今回の取り組みを開始した理由として、地元の文化や歴史を今一度自らが学び、世界からのお客様の生の声を受け入れることによって、店としてもう一歩前に進めると思った点が一番の理由かも知れません。
今世界中は近代化によってより近いものとなり、世代間や男女、人種のボーダーも良い意味で無くなりつつあります。
尾道の町は昔から他の地域からの方を受け入れる中で、異なる文化も取り入れながら自らの文化を発展してきました。
当店も世界各国の郷土料理の技術や文化を受け入れながら自らの日本料理も進化出来るよう、
何事にもボーダー無く、謙虚に取り組みたいと思います。
近代ガラス芸術の創始者である、
岩田藤七さんの花瓶、器です。
まだまだ私の知らない日本の芸術は山のようにあります。
こういったものもお客様に伝えていければと思います。
2013年3月に備後茶寮としてオープンしましたが、