二十年



2001年8月3日

幼なじみでもあり、遠い従兄弟でもあった同級生が18歳目前で風となった。

中学までは成績優秀で進学校に進むも、嫌気がさして中学3年から私と同じ地元の公立中学に転入すると一気に不良グループに入ってヤンキー化し、高校も私と一緒の不良高校。同じタイミングで中退し、私は家出同然で東京へ。方や地元で暴力団、暴走族、鳶職という『THE 不良道』へ進み、鳶の仕事中に不慮の事故によって呆気なく亡くなってしまった。

私も中学二年の頃までは勉強すればそこそこ良い成績でしたが、『答えの決まった問題を解くことに意味を見出せなかったこと。』『中学三年と高校大学の8年間をそんな時間に使うことは絶対に嫌だ。』このような考えが芽生え、仕事や人生について真剣に悩み始めた時期での彼との再会という背景もあり、特に高校生活では毎日学校を抜け出して海で泳いだり、当てもなく単車に乗って海へ行き、漠然と広がる不安な将来を穏やかに揺れる夜の海を眺めながら語り合った。いま想えばかけがえのない時間を過ごせた幸せを感じています。

あっという間と言えばそれまでですが、彼が亡くなってからこの二十年は濃い過ぎる程のものでした。


『仕事』とは?


『人生』とは?



10代で考え抜いて、その答え合わせを社会の中で揉まれ実践しながら二十年行い、追い求め続けてきた答えを、コロナ禍でようやく見つけれたのではないかと思います。



『鯛の浜焼き』という料理を焼き始めたのが十年前の2011年5月。

始めた頃は、まさか10年後にこのような展開になるとは考えもつきませんでした。


レストラン営業が体力的に出来るのは70歳くらいまででしょうが、鯛の浜焼きについては自分の命が尽きるまで焼き続けることになると思います。


最低でも向こう42年(80歳!)


目標は62年(100歳!!)


今までのレストランでは来店頂ける方だけを満足させるに過ぎませんでしたが、鯛の浜焼きではこの料理を通して人と人との心を結び、更にはギバー(鯛を誰かに贈って喜ばせる人)を作れる事が大きな違いです。

レストランは本能欲求を司る動物的なサービスに対し、
鯛の浜焼きはより情緒的かつ人間の美しい心に紐づいた文化度の高いものです。

今後レストランではただ美味しいや楽しいでは無く、『最高の想い出』となるよう総合的な満足度を高める為に様々な前例の無いサービスにもチャレンジしていきたいと思います。

鯛の浜焼きでは食べて感動して頂いた方が大切な人へも食べて貰いたいと広がっていけば社会はより美しく、感謝や愛情に満ちていくと確信しております。

物質的には満たされ、いくらお金を稼いでも。流行りの衣装を着飾ったりソロキャンプをしたり身の回りに美術品を揃えても。真の幸せとは言えません。


消費 = 自己満足・自己顕示 ではなく、

消費 = 繋がり・感謝・幸せ を産むよう、社会を良くするモノづくりに生涯を掛けて仕える事が私自身の人生の意味であり、幸せであります。

彼の分までなど大それたことは言えませんが、彼と風のなかで再会した時には誇りを持って生き切ったと言えるよう生涯を通して愛する仕事に打ち込みたいと思います。


彼が風になったのも今日のように焼けるような暑い夏の日でした。